【連載「いま語る」64】
「核兵器廃絶は論理的に正しい」 豊田健主さん(長崎大学経済学部生/RECNAサポーター)
公開日:2017.07.24
昨年夏、長崎、広島、東京の学生たち約30人が、長崎市で合宿し、核兵器について学習と議論を重ね、「若者宣言~被爆70年、核兵器のない世界に向けて~」を発表しました。RECNA(長崎大学核兵器廃絶研究センター)の学生サポーターとして、また、イベントを主催した「サマーキャンプ ナガサキ実行委員会」委員長として、この過程に関わってきました。
核兵器の問題にここまで関心を持つようになったのは、大学の授業がきっかけです。長崎大学には、1つのテーマを分野横断的に学ぶ「モジュール」という一連の授業があるのですが、「核兵器のない世界を目指して」というモジュールを選択しました。
授業を受ける前は、核兵器は圧倒的な力があるがゆえに安全を担保すると考えて、どちらかというと核兵器を擁護する側でした。それで、核廃絶論を論破するつもりで授業に臨んだんです。それが授業を受けてみて、逆に「ああ、なるほど」と、核兵器をなくすのは論理的に正しい合理的なことだと、納得しまして。核兵器は自分の今まで考えていた論理からしてもなくすほうがいい、なくさなきゃいけないという考えに転換しました。
核兵器は他の兵器と違って放射能の問題もありますし、「核の冬」という世界的な気候変動を起こすなど、世界規模で影響を及ぼす。さらに、テロリストが所有したり略奪したりすれば全世界が共通してリスクを負う。もう安全保障どころの騒ぎではない。それから何より、米ソ冷戦時代の核軍拡の話などを聞くと、核抑止というもの自体、そもそも破たんしている。こうしたことを知って、自分は核兵器のほんの一面しか見ていなかったとつくづく思い、安全保障においてリスクしかなく、何のメリットもないものはなくす必要性があると考えました。
そんなある日、たまたま授業の後に誘われてRECNAまでついていったんです。そこでRECNAサポーターという集まりのことを知りました。従来の核廃絶運動は感情が前面に出すぎている気がして苦手だったのですが、ロジカルに核兵器を語るRECNAの先生たちのもとで活動している団体だったら、感情も強いだろうけどロジカルな視点も多く持っているだろうという期待をもって、試しに1回ミーティングに参加したんです。そうしたらすごくみんなと打ち解けて、同じ普通の大学生どうしっていう感じで、いろんなことを話せて。その雰囲気が気に入って、入り浸るようになりました。
大学2年の時から「予備自衛官補」をしています。もともと高校時代に防衛大学校に行くか一般大学に行くかを悩んだ時期がありました。3.11の時に自衛隊の皆さんの活躍を見て憧れを抱き、そのような、誰かを助けられる、守れるような人間になりたいという気持ちが強かったんです。でも、果たしてこれから先の人生をすべて、厳しいといわれる自衛隊に捧げるのはどうだろうと、踏ん切りがつきませんでした。長崎大入学後に、学生をやりながらでも自衛隊で訓練が受けられる予備自衛官補の制度を知って、じゃあやろうと。言わば消防団に入るのと同じようなイメージで、より多様な現場で働けるだろうという思いで、予備自衛官補になりました。
自衛隊で活動することと核兵器をなくそうとすことが矛盾するかのように言われた経験ですか? それは沢山あります、はい(笑)。RECNAサポーターとして町に出て人と話したりするんですが、その時に「自衛官のくせに平和活動? ふう~ん」みたいなことをよく、言われます。僕にとっては、自衛隊は別に侵略するための軍隊ではなく、自国の防衛を担ったり災害の時に人を助けたりする側面が強くて。他の軍隊と違うのはまず、外国で人を殺したことがない。むしろ災害派遣などで人を救助した数が圧倒的に多い。そもそも平和を守るために自衛隊にいるので、自衛隊にいることと平和を願うこと、全然、矛盾してねぇよって毎回思ったりはしますね。
被爆体験を直接聞ける最後の世代として、今の若者が伝え続けないといけないという責任は感じます。2013年のオスロでの「核兵器の非人道性」会議で核兵器の影響について学者たちが述べましたが、その裏づけとなる証拠が長崎や広島には数多くあります。物的証拠としては被爆遺構。被爆者の方々の体験も、核兵器が非常に無残な結果をもたらすという被害の実態を教える点でとても重要です。10年、20年先を考えると、いかにして次の世代に継承していくかがすごく大事なポイントだと思います。
私たちの世代にも関心を持っている若者はいます。若者は関心がないとして最初から議論に入れないのではなく、私たちもちゃんと活動していきますので、共に協力してやっていきましょうと、『モニター』読者の方々には言いたいです。
(談。まとめ:荒井摂子)