特別連載エッセー●93 被爆地の一角から 土山秀夫「抑止力」発言は何をもたらすか
公開日:2017.09.28
当初、安倍晋三首相は強気だった。集団的自衛権の行使容認は憲法の解釈変更に過ぎない、従って憲法には何ら違反しない、と主張していた。これに対して圧倒的多数の憲法学者たちが、違憲であり立憲主義の否定につながると批判した。慌てた政権側は、最高裁における「砂川判決」と「97年の国会決議」を持ち出して反撃を試みたものの、何人かの元内閣法制局長官や元最高裁判事らによって否定される事態となった。
安倍首相が安保法制の憲法論議を避けて、専ら安全保障の見地からの解釈にシフトしたのは、この時期からであった。形勢不利とみての方針転換を図ったに違いない。今回の安保法制の成立によって、日米間の軍事協力はより緊密化し、両者一体による力が、日本を取り巻く安保環境の悪化に対して強い抑止力として働くというのである。集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案について、衆議院における審議までは首相はこう表現していた。「日本にとって北朝鮮などの“脅威”とみなされる国家による安全保障環境の悪化」に対抗するための法制が必要、と理由付けしていたのである。
ところが参議院に審議の場が移るや、安倍首相は“脅威”とする国家に「中国」をハッキリと名指ししたのだ。それは米軍と一体化(事実は従属であるが)した自衛隊の戦力が、中国に対する抑止力になり得ることを内外に示したかったからに他ならない。以後、首相は安保法制に触れるたびに、「中国に対して抑止として働く」ことを忘れずに力説するようになった。そして一般の人々、中でも安全保障に無知または無関心だった人たちに、ある種の安心感ないし共感を呼んだことは確かであろう。だが首相の描く抑止力は、果たしてメリット面の強調のみで済ませられる性格のものと言えるのだろうか。筆者は決してそうとは思わない。理由はデメリットの面がはるかに大きいと考えるからだ。
軍事力による抑止という概念はずっと以前から存在していた。しかしその概念が改めて認識されるに至ったのは、東西冷戦中の核兵器による抑止論の展開であった。米国のマクナマラ元国防長官の提唱した「相互確証破壊」(MAD)は、その代表的なものであった。もしソ連が米国に対して核の先制攻撃を仕掛けてくれば、米国は報復として倍加する核攻撃をソ連に加え返す、と警告することによってソ連の野望を思いとどまらせる、というのがその骨子であった。そのためには、実際に上回る数の核兵器を量産していなくては脅しの効果を発揮できないことになる。かくて両国は競い合って核兵器製造に走り、最盛期には合計で7万発近くという狂ったような数に達していた。
もう1つ別の具体例を挙げよう。ソ連およびその衛星国と北大西洋条約機構(NATO)との対立が危機化しつつあった時のこと。通常兵力ではかなりソ連に劣るとみたNATOは、射程距離500km以下の戦術核戦力を配備して対抗した。これを知ったソ連側は、中距離核戦力SS20を配備して優位を保とうとした。するとNATOは、それを上回る射程距離のパーシングⅡと巡航ミサイルの配備を立案した。こうした歴史的事実は何を物語っているのだろうか。
抑止という考えは相手がよほど小国か、または軍事力の貧弱な発展途上国であれば、ある程度まで通用する手段であるかも知れない。しかし中国のような“大国”や北朝鮮のような“独裁国家”に対して抑止を誇示すれば、自国に対する挑発として受け止め、ますます軍拡に走るであろうことは、前記の例に見る通り想像に難くない。歴史に学ぼうとしない安倍首相であるが、米国の威を借りて抑止論をひけらかす場合ではないはずだ。さもなければ中国は、日本が非難する南シナ海の人工島を更に増やさないとも限らないではないか。