オバマ・ビジョンの岐路 日本は変わってこそブリッジ役を果たし得る 人道論も安全保障論も中味が問われる 主筆 梅林 宏道
公開日:2017.09.28
被爆70年は核兵器廃絶運動に大きな宿題を残して閉じようとしている。現在の困難を人道アプローチと安全保障論の対立と捉えるのは誤りである。人道の中味と安全保障の中味から、核兵器に支配された世界を捉えなおすことが求められている。2006年に始まったオバマ・ビジョンの意味を問い返し、日本の為すべきことを考える。
共同意思の消失と対立点の先鋭化
戦後70年、被爆70年の年が終わろうとしている。しかし、「核兵器のない世界」(非核世界)に向かう道には、あらためて大きな壁が立ちふさがっていることを、多くの人が感じている。私たち周辺の核軍縮派リアリストのなかには、「予想通りの結果」、もう少し意地の悪いときは「それみたことか」というニュアンスの意見が出ている。私たちは、オバマ政権登場以来の深刻な岐路に直面している。
春の2015年NPT再検討会議において、最終文書が採択されなかったこと自体は予想を超える出来事ではなかった。しかし、2010年再検討会議で前進した合意の水準を、一歩でも前進させようとする共同意思が見られなかったことは深刻な事態であった。オバマ・ビジョンとは当時筆者が要約したように、「国際的協調による非核世界の達成」1であった。
具体的には2010年にNPT合意文書として初めて登場した「核兵器使用の人道上の結末を基本認識とした国際法遵守の義務」及び「非核世界を達成し維持するための法的な枠組みを確立する必要性」という、2つにして1つの課題が、2015年においては加盟国共通の議論の出発点にならなかった。この事態は、2010年以後の5年間に努力がなかったからではなくて、同志国家と市民社会がこの課題に集中して取り組んだがゆえに現れた現実であった。
この共同意思の欠如は秋の国連総会においてますます顕在化した。のみならず、共同意思の欠如はむしろ対立点の先鋭化に発展した。
人道アプローチを巡る対立
一つの現れは、オーストラリアが27か国を組織して、非人道性を論拠とする核兵器禁止の動きにブレーキをかけたことに現れている。27か国には西側の拡大核抑止力に依存しているドイツ、イタリアなどNATO主要国、オーストラリア、韓国などが名を連ねている。彼らの論理は「核兵器使用の人道上の結末を強調することに異論はないし、核兵器国の核軍縮のペースが遅すぎるという批判も共有する」としながら、「グローバルな安全保障環境や自国の安全を考慮する立場を軽視する議論は建設的ではなく、現に国際的な核軍縮努力に意見の対立をもたらしている」2というものである。
今回の国連総会には、核兵器の非人道性に関する3決議が採択された。「人道上の結末」(日本は賛成)、「人道の誓約」(日本は棄権)、「倫理的至上命題」3(日本は棄権)の3件である。27か国は一致して、この3つの決議に反対ないし棄権した。日本は、すでに共同声明において賛同している内容の決議である「人道上の結末」決議には賛同せざるをえず、27か国声明に加わっていない。しかし、日本・オーストラリアが主導する核軍縮・不拡散イニシャチブ(NPDI)の広島宣言(14年4月12日)を読むと、日本も27か国と近い主張をもっていると考えてよいだろう。
日本の不明瞭な立ち位置にもかかわらず、国内世論に押されて生み出された、日本の「非人道性を核軍縮アプローチの基礎とすべきとする論理」と「被爆体験を強調する論調」への傾斜は、日本主導の核軍縮決議に対する警戒や批判としても表面化した。これまで日本決議に賛同していたオバマ政権の米国をはじめ、英、仏が棄権し、棄権していた露、中が反対に転じた。この変化は、人道アプローチが生み出している警戒感の強さを示す重要な指標であろう。
法的枠組みの協議を巡る対立
対立激化のもう一つの現れは、非核世界を達成し維持するための法的枠組みについて協議する場の設立に関して起こった。
メキシコなどの決議「多国間核軍縮交渉を前進させる」は、今回の国連総会決議の中で最も実質的前進を示すものであった4。決議のタイトルにある「交渉」の場ではなくて「協議」の場にするという妥協を強いられながらも、決議は国連総会の下部機関である「公開作業部会」を2016年に設置することを決定した。
この決議に138か国が賛成、12か国が反対、34か国が棄権した(12月7日)。核兵器国はすべて反対するとともに、上記のオーストラリアが組織した27か国は、ジョージアを除いてすべて棄権もしくは反対であった。ここでは日本も棄権したから、対立の構図は明確であった。それは<核兵器国・「核の傘」依存国>対<それ以外の非核国>の対立ということになる。
核兵器国は5か国共同声明によって、決議は「安全保障上の考察を無視して核軍縮を促進することを意図している」、「この分裂主義的アプローチを憂慮している」と厳しく批判した5。
オバマ・ビジョンとM・カンペルマン
この対立現象から読み取るべき、真の問題点は何だろうか?
オバマ・ビジョンが登場したとき、私は「倫理ではなく安全保障の問題として核兵器廃絶を訴えた」と認識した。しかし、今日の議論と重ねるならば、オバマ・ビジョンを生み出した良質な論者は、倫理の問題を安全保障に翻訳し提案をしたと捉えることができる。
オバマ・ビジョンは、4人の元米高官の『ウォールストリート・ジャーナル』論文に端を発していることはよく知られている。その論文は、実はスタンフォード大学フーバー研究所で開催された米ソ首脳のレイキャビク・サミットの20周年記念シンポジウムから生まれた6。シンポジウムの報告書に記載されている、かつて感銘を受けたマックス・M・カンペルマン7の論考を、今回改めて読み返した。
彼は、奴隷制度があり、女性の権利が奪われ、投票に財産資格があった時代に、アメリカ独立宣言が万人の平等と自由を謳いあげたことを想起しながら、政治は「ある」ものを「あるべき」ものに転換する歴史だと述べる。核兵器に関して、彼の論理は明快であって、一部の国のみが核兵器を持っているという理不尽は許されるべきものではなく、必ず崩れる。
「“5つの安保理常任理事国が核を持っている、インドもパキスタンも持っている。イスラエルも持っている。どんな権利があって、我々はあなたたちよりも劣った国だから持つことができないと言うのか”という議論に勝つことは出来ない。」
核兵器ゼロは、すべての国にとって利益であって、いかに困難であっても、「ある」ものを「あるべき」ものに変えるために、最も多くをもっているアメリカこそ行動すべきだ。彼は、9.11後の世界でテロリストに核兵器がわたる危険についても強調したが、貫かれている精神は全ての国家の主権の平等であり、自分たちこそが行動すべきという倫理観である。
オバマ・ビジョンを牽引したカンペルマンの主張に照らすと、人道アプローチと安全保障論を対置させる議論は見当はずれである。その意味で米国代表がNPT再検討会議で述べた次の言葉は正しい。
「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道上の結末に対する我々の明確な理解と認識こそが、数十年の時を遡って、この領域における我々のすべての努力を下支えし続けている。」
「問題は核兵器が安全保障の問題か人道上の問題かということではありません。」8
ここで本当に問うべきことは、核兵器がもたらしている人道上の問題とは、核使用・事故が生む被害だけではなく、人類社会を歪めている政治的権利の不平等であり、安全保障の問題とは誰にとっての安全なのかという安全保障の中味なのである。
隗より始める倫理性
オバマ・ビジョンが「国際的協調」を強調しているのは、考え抜かれた思想である。その基底には、まず米国が行動するという原則とロシアを説得するという指針が存在している。
今日の米国においてオバマ・ビジョンが新鮮さを取り戻すことは可能だろうか? 核兵器の近代化に巨額を投じ手垢にまみれてしまったオバマ大統領が、任期中にできる実質は少ないだろう。しかし、非核世界の価値と人類共同事業の必要性について、自省の念も含めて訴えることはできる。長崎か広島に来て。
一方で、オバマ・ビジョンを再生させる役割は、日本こそが担うべきであると私たちは強く思うべきである。
2015年、日本の核軍縮政策もまた明確な岐路に立たされている。日本主導の国連総会決議に、西側核兵器国は賛成から棄権に後退、露中は反対に後退した。日本政府は保有国と非保有国の橋渡し役を果たすと言ってきた。しかし、前述したように、現在において橋渡しが必要なのは、核保有国・依存国と非依存国の間であり、両者に対して説得力を持つことが求められる。
人類の共同事業をリードするために、日本こそ隗より始めなければならない。日本はまず核兵器依存国から転換する方針を表明すべきである。そのことによって初めて、被爆体験は倫理性をともなった説得力となって日本の橋渡し役割を支えることができる。
注
1 梅林宏道「核軍縮:2008-9年の概観」(ピースデポ発行『イアブック核軍縮・平和2009-10』)
2 27か国を代表したオーストラリアの声明、15年11月2日。以下の国連サイトから検索。
https://papersmart.unmeetings.org/ga/first/
3 本誌482-3号(15年11月1日)に全訳。
4 詳しくは本誌前号485号(15年12月1日)を参照。
5 注4に核兵器国の反対理由の全訳がある。
6 本誌301号(08年4月1日)。また、注1参照。
7 Max M. Kampelman。カーター、レーガン大統領時代の対ソ交渉を担った米国の外交官。
8 ロバート・ウッド米軍縮会議特別代表。本誌474号(15年6月15日)に全訳。