【ピースデポ第17回総会記念講演会 抄録③】
対論「未来へ――日本の選択はどうあるべきか?」 西崎 文子(東京大学大学院教授) × 梅林 宏道(ピースデポ特別顧問)
公開日:2017.07.17
冒頭発言 岐路に立つ日本の核兵器政策
梅林 宏道 ピースデポ特別顧問
今、地球上に15,700発位の核弾頭があり、その94%を米ロが持っています。両国が大幅に減らさなければ、全体としても核兵器削減は進行しません。米ロの保有核兵器は2010年頃までは下がる傾向でしたが、皮肉にもオバマ大統領になってからほとんど減っていないのみならず、各国とも戦力近代化に巨額の投資をしている。現役の戦略兵器は冷戦時代に作られ、寿命が来たものは更新の時期で、次世代兵器の開発が進んでいます。米国は冷戦期よりはるかに高額を投資している。ロシアは旧ソ連崩壊の後、遅れをとりましたが核開発の努力を続け、成果が見え始めている。新型兵器の配備がまさに始まった段階です。
このお先真っ暗な状態をどう変えるかという議論が、ここ5年くらい二つの柱で進行してきました。どちらもオバマ政権の登場で出てきた芽です。2010年のNPT再検討会議で公然化しました。
一つは、核兵器のない世界を達成し維持するには法的な枠組みが必要だと、NPTの枠組みで、ほぼ国際社会全体として合意した。もう一つは、核兵器の使用が「壊滅的な人道上の結末」をもたらすと確認した。日本では当たり前の認識だったかもしれませんが、NPT条約の場では、非人道性を明確な文書として共有したのはこれが初めてです。
この二つを活用する具体的な場として明日(2月22日)から国連の核軍縮公開作業部会が始まります。迷った末にこれへの参加を決めた日本政府が、そこで何をするかを市民社会から働きかけていかねばと思います。ピースデポとしては、日本が「核の傘」依存政策を続ける限り大した役割を果たせないと政府に言っています。
1964年に中国が核実験をしました。かつての侵略戦争の相手国が核兵器を持ったのですから、日本で非常に大きな安全保障上の問いが発生したわけです。その時に「核の傘」か核武装かの二者択一論に基づき、日本は被爆国として核武装はしない、その代わり米国の核の傘の下で核の脅威から安全を守るという選択をした。そして核の傘とセットの非核三原則を日本は1968年に採択したのですが、その前年にラテンアメリカ非核兵器地帯が合意されたのです。これを手伝ったカナダの外交官が後に、「あらゆる国際政治学者と外交官が、とてもできるはずはないと言っていた。しかし実際にはできたので、外交でこれが不可能、ありえない、ということはない」と書いています。
それで日本も、二者択一ではない第三の選択、北東アジア非核兵器地帯を作ることが可能です。そのイニシアチブを日本が取る。10年位かかるかもしれないが、そういう方向に向かうのは政治決断です。外務省の役人にはできない選択を政治家がすべき局面だと、先日の参院調査会1でも強調しました。その政治を動かすのが私たち市民社会ということで、今日は西崎さんと、そういう議論につながるやり取りをできたらと思います。
対 論 西崎 文子 × 梅林 宏道
梅林 西崎さんの講演で現在の米国の選挙に言及がありましたが、翻ってオバマ選挙の時は外交の軸があったのではないか。というのは、第2期ブッシュ政権の最後の国防長官ゲイツが、軍事でやれることは限られていると力説し、米国は軍事以外の、「範を垂れる」というソフトパワーをもっと出さねばと議論した。オバマのプラハ演説も「米国は核兵器を使用した唯一の国の道義的責任として、核兵器のない世界に向かうリーダーシップをとる必要がある」と、自分を変えることで人を説得できるという価値観を出している。第1期オバマ政権の国防長官はゲイツが引き継いだんです。私はそこに「流れ」があると思いました。
これから大統領選挙が本格化した時に、外交の議論の争点はどの辺になっていくんでしょうか。
西崎 まず、範を垂れることで影響力を及ぼすという議論ですが、米国での議論は、世界を変えていくのか、「丘の上のかがり火」なのかのどちらかなんですね。でもイラク戦争をやっておいて「範を垂れる」ことができるのかと私は思ってしまいます。ゲイツは軍事偏重だったブッシュ政権期の外交を改めようとしたということで、それ自体は合理性がありますが。オバマが登場した2008年と今では米国の雰囲気はまた違います。2008年前後も米国が困難に直面しているという意識があったけれど、あくまでイラクあるいはアフガニスタンの戦争についてであって身近には捉えていなかった。しかし、この間サンバーナーディーノでのテロ2があったりして、局面が変わってきたと思います。今、オバマのようなビジョンを掲げる政治家が人々の支持を集めることができるか疑問に思えます。
選挙戦から見える外交の軸はやはり「強い米国」。オバマのもとで米国は弱体化したという意識が非常に強いですね。専門家はそのような議論には根拠がない、軍事的にも政治的にも米国が圧倒的に強いと力説しますが、一般的にはオバマが米国を骨抜きにしたと。だからトランプのように米国をもう一度偉大にするといった言説が圧倒的になる。それを正面から疑問視する議論が生まれてくる可能性は今のところない。
梅林 オバマ第2期選挙の時、我々は彼の次の軍縮提案を待っていた。米国の核戦略立案には時間がかかるので最初の4年はブッシュの戦略を実行する以外なかったが、オバマらしいことがやれるのは次の4年だということで、新しいものが出てこないか期待したのですが、第2期に出てきた戦略は、1000発までしか核弾頭を減らせないという残念な内容でした。ただオバマもベルリン演説の中でもいいことを言っていて、核兵器が存在する限り「正義を伴う平和」はないと。そういう考え方が政策化されることは多分、今の米国社会ではないだろうということを、西崎さんのお話を聞きながら再確認せざるをえないのですが。とはいえ、米国とどういう接点を作って、日本からのメッセージをどう発信すれば少しでも前進するのかを考えねばと思います。
西崎 私のオバマ評価は比較的高いのですが、それは肝心な時に正しいことを言うからです。「戦争に名誉はない」とか、「ベトナムやイラクの泥沼はこりごりだ」。これらは今の米国ではなかなか言えないことです。そういった意味で、梅林さんと同じく私もオバマの思考過程には共感するところが多いです。ただし仰るとおり、それを政策に移すことが現実的にできるのか。彼が軍事偏重でない大統領だからこそ難しいこともあると思う。タカ派の大統領が思い切ったことをやる可能性もあるので、オバマのアジェンダが別の個性をもった政治家に受け入れられれば、新しい局面が開かれる可能性はある。
日本に関して言うならば、日本政府は被爆地、被爆のことをもっと真摯に考えてほしいです。興味深いのは、原爆の慰霊式典に出席する安倍首相が、歓迎されざる客となっていることです。被爆者そして長崎・広島市長の側から、安倍政権の外交政策に対する非常に厳しい批判が出ていて、対決姿勢がかなり明らか。あれは健全だと思います。今まで遠慮していたのが表にでてきた。私たちは衝突を嫌いますが、衝突が必要なときもある。
梅林 一方で、米国の政策に影響がある言論人の中で、戦後日本の平和政策を日本は今変えないと「日米同盟」はうまくいかないと議論する人たちがいて。米国のオピニオンリーダーはそういう人が多いと日本の政治家が一方的に思っていると私は思うんですけれども、例えば北東アジア非核兵器地帯の話をすると、米国民主党のブレーンの人たちがすごく乗ってくるんです。2000年だったか、中堅国家構想(MPI)という米国のNGOがマクナマラ(米元国防長官)を、北東アジア非核地帯を推進する論客として日本の外務省に連れていった。すると彼はすごい勢いで、日本は東アジアで自分の外交をやらなければならない、いつまでも米国の下で働いている日本はいらないと言うわけです。ところが自民党も民主党も、外交通の人は米国をものすごく気にして、非核兵器地帯のようなイニシアチブに関しては怯えるようなところがあります。日本はもっとイニシアチブを取れと言う人は米国では少数派なんでしょうか。
西崎 流れから言うと少数派かもしれませんね。マクナマラもそうですが、辞めてから自分たちがどういった核政策を進めたのかと愕然としている。ジョージ・ケナンもそうなんですね。ケナンは核抑止論を全く評価しないのですが、そういう人はやはり日本の「反核姿勢」に期待するんだと思うんです。しかし米国の日本通と日本の米国通のタッグにも非常に強いものがあって、日本があまりイレギュラーな―と米国が思うような―行動をし始めると警戒する。その圧力は強い。ただ、それを気にしていたら日本として何もできません。
もう一つは、米国の今の大統領候補もオバマも、日本に対する特別の思い入れは小さいのでは。ブッシュのお父さん位までの世代は戦争と戦後を知っていて、日本は敵から同盟国になった特別な国だとの認識がある。しかしそうした歴史的記憶のない人たちは、日本を単なる同盟国として捉えるようになる。そういった米国の日本認識の変化にもうまく対応しなければと思います。どうも日本の方が「記憶が長い」ですから、占領以降の米国の特別な関係を重視しがちですが、米国は特別な関係という意識を必ずしも引き継いでいない気がします。トランプも1980年代のイメージで日本を語っていますし。
梅林 ここで西崎さんの被団協での経験から示唆を頂きたいのですが、非核三原則が守られていないということで、僕は随分、国内で日本のこの核兵器政策を批判するのに、もう少し効き目があるというか、直接政府の判断を変えさせるような市民レベルからのアプローチがないかと考えていて。被爆者が、日本政府のやり方があまりにひどいので、自分たちの尊厳を否定された思いを抱く局面があったと思うんです。今「人道上の結末」の問題が国際社会で議論し直されている時に、そういうことを整理して日本政府の政策を検証できるような、例えば裁判などができないのかと思うのですが。
西崎 簡単ではないかもしれませんね。被団協は互助組織としてスタートし、被爆者認定訴訟、国民法廷、生活実態調査など、国民の支持を受けて色んな活動をやってきましたが、政府との関係は微妙なところがあります。つまり、共通項は被爆者だということだけですので、政治的には色んな人が含まれます。ただ、一つの思いだけは一緒で、それはとにかく核兵器はなくしてほしいということです。それが被団協の強みだと思うのですが、政治とは違う一点主義にならざるを得ない。死ぬまで被爆者をやめられないという、その思いがどうやったら一番うまく伝わるかに苦心してきたような気がします。
梅林 そこは非常によくわかります。だから被爆者一人ひとりの人格と核兵器の問題をつなぐ接点が争点になる、そういう場面をどう作るべきかかなと。
それと少し重なるのですが、「宗教者キャンペーン」という署名運動をピースデポもお手伝いしていて、「私たち日本の宗教者は、日本が核の傘への依存をやめ、北東アジア非核兵器地帯設立に向かうことを求めます」というメッセージを発している。この声明タイトルは政治的には大胆ですが宗教者の言葉としてはそんなに飛躍はないだろうと思えます。立ち上げの会見で呼びかけ人の宗教指導者たちが発言したのですが、汝殺すな、という原点みたいなものからほとばしるように主張が出てくるんです。で、宗教者というのも一つの立場としてあると思いつつ、被爆者という立場もある。それから被爆国日本の「市民」というアイデンティティの立て方もある気がしていて、今の日本の核兵器政策が、自分たちが築いてきたものを正面から崩すということを争点にするような、法的な場面を作った方がいいと思うのです。
西崎 宗教ということで言えば、米国の一般の人たちも影響を与えることはできると思います。米国の反核平和運動家は宗教的背景を持った人が多いですし、米国は宗教色が強い国で、その中から聖戦論も出てきますが、逆に核兵器被害について感受性が鋭い人も現れてくる。そういった人々に訴えていくことで、共感の輪を広げられると思います。
梅林 今のご指摘は非常にヒントになりました。「宗教者声明」は日本の宗教者のメッセージとして作られたわけですが、日本の宗教者の運動が国際的になっていくと、それと共鳴する格好で米国の議論も作られていく可能性は十分あるという印象です。これからもよろしくお願いします。大いに一緒にやっていきましょう。
(まとめ:ピースデポ)
編注
1 16年2月17日に行われた参議院「国際経済・外交 に関する調査会」。梅林特別顧問は参考人として意見陳述した。本誌490-1号(16年3月1日)参照。
2 15年12月2日、米カリフォルニア州サンバーナーディーノの福祉施設で起きた銃乱射事件。死傷者約30人。テロ事件として捜査されている。
西崎 文子(にしざき ふみこ)
東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は20世紀アメリカ政治外交史。アメリカ外交の理念的な側面を研究。大学生の頃から、通訳として日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の国際活動にかかわってきた。著書に『アメリカ外交とは何か』(岩波書店、2004年)ほか。TBSテレビ「サンデーモーニング」にコメンテータとして出演。
梅林 宏道(うめばやし ひろみち)
ピースデポ特別顧問。長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)客員研究員(前センター長)。核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)東アジア・コーディネーター、「中堅国家構想(MPI)」国際運営委員として軍縮、安全保障問題にとりくむ。著書に『情報公開法でとらえた沖縄の米軍』『在日米軍』『非核兵器地帯』など。