第6回「脱軍備・平和基礎講座」報告
2021.12.28
2021年11月27日(土)14時から16時まで前田哲男さん(軍事評論家)による第6回「脱軍備・平和基礎講座」が明治学院大学でオンラインを併用しながら実施された。ズーム生配信に参加したのは20名、会場参加は5名であった。
第6回のテーマは「安保法制下の自衛隊」であった。前田哲男さんの講義は朝鮮戦争が1950年に勃発したところから始まった。朝鮮戦争は日本に警察予備隊の創設を促した。その2年後に警察予備隊は保安隊となり、またその2年後の1954年に自衛隊が作られた。
警察予備隊は警察力の予備ということで、軍隊ではないと政府は主張していた。保安隊になると警察力の予備とは言えない規模になったが、政府は近代戦遂行能力がないということで憲法違反ではないと政府は主張した。自衛隊になると近代戦遂行能力がないとは言えなくなり、政府は「必要最低限の自衛力の保有は憲法9条2項に違反するものではない」という解釈を打ち出した。
専守防衛という用語が公式に使われるようになったのは1970年の第1回防衛白書からだった。防衛白書には「我が国の防衛は専守防衛を本旨とする。専守防衛の防衛力は我が国に対する侵略があった場合に国に固有の権利である自衛権の発動により戦略守勢に徹し、我が国の独立と平和を守るためのものである即ち専守防衛は憲法を守り、国土防衛に徹するという考え方である」という文がある。坂田道太氏が防衛庁長官の時代に基盤的防衛力構想が作られた。初めて文民が作った国防方針であることにその画期性がある。
専守防衛を本旨とする基盤的防衛力構想は日米防衛協力の指針である、1978年ガイドライン、1997年ガイドラインにより、換骨奪胎されていく。その背景には、日本の自助努力を促すアメリカからの圧力があった。さらに、1978年から在日米軍駐留経費の日本側負担である、通称思いやり予算が始まる。中曽根内閣ではその負担が爆発的に増えた。基盤的防衛力構想は2010年に民主党政権により廃棄された。
2015年ガイドライン策定は安倍政権で行われた。その直後に安保法制が国会で可決される。ガイドラインは安保法制を先取りしたものであった。安保法制は論理の当然の帰結として、敵基地攻撃能力論に入っていく。集団的自衛権が行使できるようになっただけでなく、今後の予想として、防衛費はGDP2%を突破する恐れがある。
前田さんは最後に、今や専守防衛は名存実亡と言わざるを得ない。専守防衛は一体どのような形で存続できるか、また再生可能かということを考えなければならない、と述べていたが、まさにその通りだと思った。
(文責:ドゥブルー達郎)