【連載】いま語る-70「東京のどまんなかで平和を考える」 伊藤 剛さん(株式会社アソボット代表取締役)
公開日:2017.06.01
流行の最先端を行く場所で戦争や平和を伝えるというそのギャップに意味があると考え、この原宿(キャットストリート)の事務所へ1年半前に引っ越しました。若いときに海外を旅したときの、政治的話題を日常的話題と同じテーブルに乗せてビールを飲みながら話をするいろいろな国の若者たちとの出会いは衝撃でした。あの時の自分や周りの友達とこういう話をするためにはどういうきっかけが必要なのかという問いはずっと持ち続けています。
最近感じているのは情緒や倫理で語ってもダメなのではないかということです。「戦争はいけないよね?」「人殺しはいけないよね?」これらに反対する人はいません。だからそもそも問いになっていない。これらはお互いに了解しているという前提で、話す側が議題を明確にできていないのではないでしょうか。人々の多くは戦争プロパガンダの前に「不景気でもいいんですか?」という経済プロパガンダに負けてしまいます。これに巻き込まれないためにはどういう方法があるのか、そういった具体的な問いを設定して、いろいろな人に意見を聞いてみたいと思います。
私の幼い息子やその周りの男の子たちは、電車、バス、ブルドーザー、飛行機へと興味が移って、その先には戦車が普通にあるんですよ。子どもには戦車の手前に境界線がない。若者たちの間では、ここ最近ミリタリーファッションが流行していて、原宿の風景にも溶け込んでいます。戦車のフォルムは人を惹き付け、その金属の塊は畏怖の念を起こさせます。私たちはきれいに制服を着て、一列に並ぶのを美しいと感じる。こういう感覚が人間にはあるということを前提とすると、戦争という概念を倫理観だけに訴えて社会を変えていくという伝え方は届かないのではないか。戦争の何がいけないのかブレークダウンできていないのではないか。0か1を選ぶとなると、それに賛同できる人しか集まらず、伝わらないのではないか。そうではなくて、グレーゾーンの中でもがき苦しみながら選択しなければならないのが現実ではないでしょうか。
いま平和を伝える努力より、正しく戦争を学ぶことが重要なのではないかと考えるようになりました。我々の戦争観をアップデートするということです。戦争を学ぶことが軍国主義の動きに加担してしまう可能性があることは認識したうえで、しかし、いつまでも70年前のモノクロの戦争観では現実味がありません。現代の戦争をとりまく環境そのものをリアルに切り取り、その中でロールプレイしてみることが重要な気がしています。
2014年にロールプレイを通して被災生活をリアルに知るという防災教育が目的のロールプレイングブックを発行しました。その続編として、平和構築の専門家の方も交えながら、本当の戦争を学べる本をこれからつくりたいと思っています。どのように戦争が始まり、どのように戦争を止めることができ、その実際の現場ではどのような葛藤が存在しているのか。例えば、国連PKOが介入し、武装解除を行いますが、現場では武器を放棄させる代わりに戦争で壊された橋などを造る仕事を与えるというミッションもセットになっていたりします。そのような職業斡旋の業務は、我々の日常の延長で想像できる風景です。このようなリアルを切り出して学んでいく作業が、普通の人に戦争を伝えるための一つの方法なのではないかと考えています。先ほどお話しした「あなたの乗り物好きの幼い息子が戦車のおもちゃを買ってほしいと言うがどうする?」や、他にも「不景気の中、下町の工場長であるあなたに戦車のボルトの注文があったがどうする?」「内戦を経験した国で歴史を教えるあなたは、加害者と被害者が混在する生徒に向けてどのように戦争を教えるのか?」など、こうしたロールプレイを通じて戦争とは何かをパッケージとして学ぶ機会を提供したいと考えています。言わば、モノクロの戦争観をカラー化するためのツールです。
トランプ・アメリカ新大統領が登場し、世界の警察をやめます、日本に核の傘の提供をやめますと発言したことはある意味では日本の平和運動の主張に沿ったものと言えなくもありません。これまではアメリカの軍事介入主義に反対することがイコール戦争に反対することだったのが、変わるかもしれない。アメリカの大きな軍事力が前提だったのが縮小された前提で考えなければならないかもしれない。考えざるを得なくなったのはチャンスです。今後日本の平和運動がどういう議論をするのかが試される大事な時期に来たと思います。
(談。まとめ、写真:山口大輔)
いとう・たけし
1975年生まれ。東京外国語大学大学院総合国際学研究科「平和構築・紛争予防コース」 非常勤講師、NPO法人シブヤ大学理事。