【コラム】創刊時を振り返り、今を考える 主筆 梅林宏道
公開日:2017.04.14
本誌の創刊号(1995年7月15日)が出たのは、もう21年も前になる。
ニューヨークで開催された1995年NPT再検討・延長会議に参加して、私は冷戦終結を受けた世界規模の核兵器廃絶運動が始まることを感じた。それが本誌を創刊するきっかけとなった。
当時を振り返って、米国の運動状況の今との違いが気になっている。
80年代の反核運動において、米国の運動の主流は核兵器廃絶ではなくフリーズ(核凍結)であった。それが、冷戦終結という歴史的転機を経て、1995年会議に結集した世界のNGOは、米国の主流派も含めて「廃絶」という目標を共有した。
当時、私は、世界の核軍縮NGOと接し始めたばかりの時期であったが、世界的な廃絶運動において米国の運動の主流を巻き込むことの重要さを認識していた。米国は最強の核保有国であると同時に、市民社会の声が届きやすい国であるという点において、米国の運動への期待が大きかったのである。当時の中心課題であったCTBT締結も、国際世論の圧力の下でクリントン政権が決断したことから実現した。
今、世界の核兵器廃絶運動は核兵器禁止条約の交渉開始を勝ち取ったという画期的な成果とともに、どのような内容の条約交渉なのかを考える重要な局面を迎えている。しかし、米国の平和運動主流は、核兵器禁止条約で世論を動員することに、近未来を展望した確信を持てないでいるように思われる。
CTBTについて言えば、長い核実験禁止運動の歴史を背景に、米国の運動主流は政権を動かす展望を持っていたと思う。核爆発実験をしなくても核兵器の維持は可能だというハト派エリートの議論を、賛成しないながらも援軍としていた。今日、核兵器がなくても通常兵器の優位をもってすれば米国の安全は保障されるというハト派エリートの援軍的議論はあるが、前提となる核兵器廃絶への世論のベースはまだ弱い。
私たちの前にはまだ一波乱も二波乱もあるだろう。確かなことは市民社会の役割が決定的に重要だということだ。日本の私たちがなすべきことの第一は、被爆国と呼ぶには余りにも恥ずかしい日本政府の現状を変えることにあることはもちろんである。その努力の中で米国の市民社会への視点を持つことにも注意を払いたいと思う。