プルトニウム 高速増殖炉「もんじゅ」、廃炉に向かう――「核燃料サイクル」全体の見直しを 

公開日:2017.04.13

 日本原子力研究開発機構(以下、「原子力機構」)が福井県敦賀市に所有する高速増殖原型炉「もんじゅ」の廃止が、いよいよ目前に迫っている。2016年9月21日、原子力関係閣僚会議1は、こう決定した。「『もんじゅ』については、廃炉を含め抜本的な見直しを行うこととし、その取扱いに関する政府方針を、高速炉開発の方針と併せて、本年中に原子力関係閣僚会議で決定することとする」。  決定することを決定するとはなんとも七面倒くさい決定だが、それだけ抵抗もあるということだろう。それでも、延命は難しい。本誌が読者の手元に届くころには廃止が決まっていると思う。

原子力規制委員会の勧告

 「もんじゅ」廃止のきっかけとなったのは、昨15年11月13日、原子力機構を所管する文部科学大臣に対し原子力規制委員会が、同機構には「もんじゅ」の設置者としての能力がないとして以下の勧告2を行ったことだ。 ① 機構に代わってもんじゅの出力運転を安全に行う能力を有すると認められる者を具体的に特定すること。 ②もんじゅの出力運転を安全に行う能力を有する者を具体的に特定することが困難であるのならば、もんじゅが有する安全上のリスクを明確に減少させるよう、もんじゅという発電用原子炉施設の在り方を抜本的に見直すこと。  文部科学省は、②は無視して①にこたえようとして、果たせなかった。「もんじゅ」を動かせるのは原子力機構しかないことは、ほかならぬ「もんじゅ」存続推進論者らによって言い尽くされている。その機構に能力がないなら、誰にも動かせない。電力業界もメーカーも、むろん引き受ける気はない。①は、もともとありえないことを求めていたのである。  ②は、それ自体がわかりにくい表現だが、直截に言えば廃炉しかない。「発電用」でなくすればといった逃げ道で、原子力規制委員会が、また、世論が納得するはずもない。やはり廃止しかないのである。  そもそもなぜ「もんじゅ」の廃止が求められるのかについては、原水爆禁止日本国民会議と原子力発電に反対する福井県民会議の委託を受けて原子力資料情報室がまとめた「『もんじゅ』に関する市民検討委員会」の提言書3をお読みいただきたい。

「もんじゅ」の廃炉が決まっても

 「もんじゅ」の廃炉が決まっても、それで「めでたし、めでたし」とはならない。廃止措置そのものが大仕事だ。ナトリウム漬けの燃料の取り出し、1次系・2次系ナトリウムの抜き取り、機器に付着したナトリウムの除去、ナトリウムの安定化処理等々、課題を挙げていけば、きりがない。  また、前出の閣僚会議決定は、次のようにも述べていた。「我が国は、『エネルギー基本計画』に基づき、核燃料サイクルを推進するとともに、高速炉の研究開発に取り組むとの方針を堅持する」(強調は編集部)。  そこで高速炉開発会議が設置され、10月7日に初会合が開かれている。メンバーは、世耕弘成・経済産業大臣を議長として、松野博一・文部科学大臣、児玉敏雄・原子力機構理事長、勝野哲・電気事業連合会会長、宮永俊一・三菱重工社長の5人。高速炉開発に批判的なメンバーは加えられていない。  ここに「高速炉」というのは、従来の「高速増殖炉」をあいまいにした命名だ。高速増殖炉は、プルトニウムを燃料とし、燃料の周りに置いた「燃えにくいウラン」をプルトニウムに変えて、燃えた量より多くのプルトニウムを新たに生み出すという原子炉である。長期にわたって安定的なエネルギー供給ができる「夢の原子炉」という触れ込みだった。その夢が色褪せたのを見越して後ろに隠し、半減期が何万年もある長寿命の放射性廃棄物を、プルトニウムといっしょに燃やすことで寿命の短いものに変えて毒性を軽減化できるといった、新たな夢をうたっているのである。  フランスで建設計画中のアストリッド(ASTRID)4も、まさにそうした夢を前面に押し出したものだ。そのアストリッドに、日本政府が経費の半額を負担して参加するといった報道もあるが、「もんじゅ」存続推進の広報部長ともいうべき岡本孝司・東京大学大学院教授は『エネルギーレビュー』11月号で「アストリッドはフランスでほぼ頓挫しています」「アストリッドに国民の税金を使うのは無駄使いです」と書いていた。だから「もんじゅ」が必要と言い張るのも愚かだが、アストリッドに相乗りすることで、研究開発に取り組む方針を放棄していないと言いわけする。そのために多額の税金をつぎ込もうとする愚かしさも度し難い。  岡本教授は前記記事で、さらに言う。「プルサーマル5は、もともと経済性が悪く、もんじゅの遅れによるプルトニウム蓄積を補填する[日本語がおかしい。緩和するとでも言うのがよいか―引用者注]ために、進めているだけです。サイクルが回りませんので、再処理施設の意味も、廃棄物処理施設の意味が強くなります」。

再処理もいらない

 ふつうの原発で使用した燃料を化学処理して、高速増殖炉の燃料用のプルトニウムを取り出すのが、再処理施設だ。高速増殖炉の燃料が要らなければ、再処理施設も要らない。というか、現状でプルトニウムは余っていて、核兵器にも使えるプルトニウムを貯め込んでいることへの国際的な懸念がある。それをかわすために、コスト増と危険増に目をつぶって、ふつうの原発で燃やす「プルサーマル」が行われているのが実情だ。  「もんじゅ」が廃炉にならなくても不要だった六ヶ所再処理工場が、「もんじゅ」の廃炉を迎え、いよいよもって不要になったと言ってよい。ところが今年5月11日、再処理やプルサーマルを義務付けるような法律6が成立してしまった。六ヶ所再処理工場どころか、その次の工場やプルサーマル用の燃料の製造工場の費用まで、電力の消費者から先取りしようというものだ。  日本の核燃料サイクル政策には常識が通用しないと、つくづく痛感させられる。もっとも、高速増殖炉も再処理工場も、推進論を叫んでいるのは無責任な原子力ムラの学者たちで、実務に携わる人たちは誰も本気で推進しようとはしていない。 東京電力の榎本聰明・元副社長が、『エネルギーフォーラム』2010年6月号で再処理をやめれば「プルトニウムの処分という重荷からも逃れられる」と表現していた。プルトニウムを使うのは「利用」でなく「処分」なのであり、電力会社にとって「重荷」なのだ。  やりたくないけれど、自らやめると言って責任を取るのはイヤだという無責任さが、核燃料サイクル政策に限らない原発推進政策の正体だ。しかし前述のように、プルトニウムの使いみちも定かでないのに核燃料サイクルに固執すれば、核開発の疑いをもたれ、他の国の核開発を促したりする。  もちろんプルトニウムの使いみちがあればよいのではない。プルトニウムの利用こそやめるべきなのだ。再処理をしてプルトニウムを取り出すことをやめ、すでに取り出されたプルトニウムは、放射性廃棄物として処分するよりほかない。




1 http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/genshiryoku_kakuryo_kaigi/

2 原規規発第1511131号(平成27年11月13日)。


3 16年5月9日。http://www.cnic.jp/wp/wp-content/uploads/2016/05/50bbe95e69213f1603572dc441b92c55.pdf

4 工業的技術実証のための先進ナトリウム冷却炉(Advanced Sodium Technological Reactor for Industrial Demonstration)。


5  ウラン・プルトニウム混合酸化物(MOX)燃料を原発で使用する。

6 「原子力発電における使用済燃料の再処理等の実施に関する法律」。平成28(2016)年5月18日法律第40号。